同調圧力は正義か悪か
前日の鳥取の米子から大阪に移動し、大阪城近くのホテルに泊まりました。前日の米子→大阪間の移動が長すぎて、不思議なことに東京から鳥取に行くよりも、大阪から鳥取に移動するほうが時間が掛かります。体調も悪くてヘロヘロで移動したのは前日のブログの通りです。しかし、体調はだいぶ回復して、朝には晴れた秋空に大阪城が綺麗に見えました。
関西の方はよくご存知かと思いますが、大阪城のすぐ近くに大阪城ホールという大型施設があり、体調も悪いからもう寝よう、と思ったら22時頃に大阪城ホールでコンサートが終わったのか次々と人が出てきました。窓からその人の流れをみていたら、数人の集団が大阪城公園駅(これが最寄りの駅)ではない方向に進むと後ろの人たちも次々とついていき、最終的には多くの人たちが道を誤って引き返していく、という光景を目にしました。
わたしもこんな経験はあったなー、と思ったのですが、人の流れには従っていかないと、もしくは従っていけば駅に着く、みたいな考えなんですよね。
日本人は特に同調圧力が強いとされていて、目立った行動をする、人と違う発言をする、など規則やルールにないものでも、集団に従う傾向があります。
例えば10人で食事をするとして、9人が同じメニューを頼むと、10人目の自分もなぜか同じメニューにしないと、と謎の圧力を自分の中でも感じます。
面白い例えがあって船が遭難して沈没しかけている時に、乗客の数に対して救命ボートの数が足りないので、船長は乗客に海に飛び込んでもらうために、こう言います。
アメリカ人に対して・・「飛び込めばヒーローですよ」
ロシア人に対して・・「海にウォッカのビンが流れていますよ」
イタリア人に対して・・「海で美女が泳いでいますよ」
フランス人に対して・・「決して海には飛び込まないでください」
イギリス人に対して・・「紳士なら海に飛び込めますね」
ドイツ人に対して・・「規則ですので海に飛び込んでください」
日本人に対して・・「みなさんはもう飛び込みましたよ」
この船長の言葉は秀逸に各国の特徴を表していて、アメリカはヒーローイズム、ロシアはお酒好き、イタリアは女性好き、フランスは慎重派、イギリスは階級社会、ドイツはトップダウン、日本は同調圧力、それらが有効な動機づけになるというジョークです。
組織において同調圧力の強い日本では
○協調性のある行動をする
○規律を守る
○不正を防止する
という良い面がある一方で
△多様性、イノベーティブが損なわれる
△悪い文化も継続する
△個性にあった働き方や過ごし方ができない
という悪い面も考えられます。
現代においては、かつてチームの結束と規律を守って勤勉に働いてきた一方で、働き方の多様性や規則の緩和、成果主義などにより、いまは同調圧力を緩和した風潮が広がってきたように思います。
それでも、ガチガチの規則で固めて、上司の言うことには絶対で、みんなが帰るまで帰れない、と言った組織はブラック企業と言われるようになりました。自由にしていても規律が守れて、自立して仕事ができるのであれば、多様性を持った働き方ができますが、そうでなければ縛っていくしかない、それが組織の方針となっていく訳です。
いまや情報社会で、厳しい言動や叱責で組織をマネジメントすれば、何かしらの形で流布されてしまうリスクも多様な働き方と個性の尊重が重視されてきている理由かも知れません。
話は戻りますが、組織における同調圧力が緩和されつつも、まだまだ文化や風習として残る同調圧力は今後変わっていくのでしょうか?
わたしは個人的には日本の文化、風習としての同調圧力は変わらず残っていくと考えますが、緩和はされていくのではないでしょうか?
学校の一律した制服の見直しや、集団学習機会の減少など、学校教育でも多様性が認められてきています。将来を担う人たちが多様性や個性を重んじていく意識が芽生えていくと、また違った社会になるのかも知れません。
みなさんはこの同調圧力についてはどんな意見をお持ちでしょうか?
この話題はリーダーシップ研修やシステムコーチングでも取り上げていますので、またご意見ください。

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