新潟の米百俵
新潟に行ってきました。 快晴で雪山がとても綺麗に見えます。 雪景色はこんなにも綺麗でノスタルジックな感じさえも受けるのに、時にはわたしたちの生活の脅威になる二面性があります。 雪が降る地域で暮らしている方は、その生活を考えるだけでも想像を絶する困難がたくさんあるのだと思います。 一方で外国人と話をしていると、日本の寒さや雪化粧の景色を多くの常夏に住む人たちは羨ましがります。 シンガポール、マレーシア、ベトナム、タイなどアジアの主要国では冬を感じることができない国もたくさんあります。 日本は小さい国とわたしたちは感じがちですが、世界地図を広げただけではわからない、日本の大きさをご存知でしょうか? 日本の国土はヨーロッパの大半をすっぽり埋めてしまうくらいの大きさがあります。 そう考えると日本でも、もっとたくさんのところに足を運んでみたいと改めて思いますよね。 さて、新潟に話を戻すと、わたしが心の糧にしている言葉があります。 「米百俵」この物語をご存知でしょうか? 幕末の戊辰戦争で長岡藩は新政府軍との戦闘によって長岡は七万四千石から二万四千石に大きく減ってしまうことになりました。 長岡藩の窮状を知った三根山藩から米百俵が見舞いとして届けられます。 藩士たちはこれで飢えが凌げると喜びますが、長岡藩の大参事小林虎三郎はこの百俵の米を売却します。 なぜそのようなことをしたのか、小林虎三郎は 「早く、米を分けろ」といきり立つ藩士たちに向かってこう語りかける。 「この米を、一日か二日で食いつぶしてあとに何が残るのだ。国がおこるのも、ほろびるのも、まちが栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人にある。」「この百俵の米をもとにして、学校をたてたいのだ。この百俵は、今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか、百万俵になるか、はかりしれないものがある。いや、米だわらなどでは、見つもれない尊いものになるのだ。その日ぐらしでは、長岡は立ちあがれないぞ。あたらしい日本はうまれないぞ。」 と言って国漢学校の資金にしました。 その後長岡藩からは山本五十六など、多くの識者を輩出し、近代教育の基礎を築いたとされています。 この話は企業に教育を提供する弊社にとっては忘れてはいけない話で、不況で教育に資金を当てられない企業に対して、どうやって教育の必要性を理解してもらうのか、わたしたちも試行錯誤して活動して...