自責と他責

 


先日出張に行った際に連れて行って頂いたお店で、この中から好きな物を選んで、調理をして頂くという、食前のシズリング効果(詳しくはブログのバックナンバー5月15日投稿をご覧ください)が満載のおもてなしでした。

しかし、問題は誰が決めるのか、ということで、みんな「どうぞ、どうぞ」状態で、一向に決まりません。

結果、「お店のオススメで。」ということで遠慮なのか、礼儀なのか、決断力がないのか、せっかくの機会を逃してしまいました。

この「遠慮」や「配慮」も、社会経験のなかで身につく大切な要素ですよね。

もうひとつ、社会経験の中で自然と身についてきた大切な要素についてご紹介します。


タイトルにある通り、自責と他責です。

先日駅のホームでこんな場面に遭遇しました。

「イヤホンが落ちちゃったんですけど、取ってもらって良いですか?」

と駅員さんに若い女性が声をかけています。

この会話に違和感を感じました。

なぜならイヤホンが勝手に落ちてしまって、わたしのせいではないんです、と言っているように感じました。

本来であれば

「イヤホンを落としてしまったんですが、取ってもらうことはできますか?」

だと、自分の失敗で落としてしまい、取ってください、と自責の意味があり、もしわたしが受けて側の駅員さんならこちらの言い方を快く思います。


しかし、若い女性は決して悪気があったわけではないと思います。自然と口にしてしまったことでしょう。

これは傾向として年を取るにつれて他責思考から自責思考に移り変わると言えます。

なぜなら、子供の会話で「〜ちゃんのせいで」とか「〜がないからできない」と言ったことを耳にするとかはありませんか?

なぜなら子供は親や周囲の大人が助けてくれる、理解してくれる、とわかっているからです。

しかし、大人になり社会を経験すると、自分の失敗は誰も助けてくれない、自力で頑張るしかないという場面にたくさん遭遇します、

そうすることで他責思考から自責思考に変わっていく訳です。

みなさんの組織においても、若手社員の他責思考に悩まれるケースもあるのではないでしょうか?

そう言った時にはこの話を思い出していただくことで、なにか今までとは違うアクションを取れるようになることを考えてみてください。

かく言うわたしもなるべく他責をしないように生活することを心がけたいです。


コメント

このブログの人気の投稿

プレゼンにおいて

採用面接において

アンコンシャスバイアス